「光彩」 備前焼の伝統に向き合い続ける陶芸家
岡山県瀬戸内市牛窓に穴窯(あながま)をもつ、備前焼作家「光彩さん」との出会いをきっかけに、お付き合いが始まりました。数学の講師を経て、陶芸の道に転向。備前陶芸センター終了後、細工師に師事し独立後、穴窯を自作しその後も、真言宗阿闍梨を経て、彩龍寺住職となる。異色の経歴をもつ、備前焼作家であります。
日本六古窯のひとつの備前焼の歴史は古く、その中でも常に古備前を追求し、焼き方を自分なりに試行錯誤しながら、チャレンジする姿は「革新者」なのでしょう。
百貨店のみで、作品を紹介してきた光彩さんの作品を、私共の「金魚屋陶苑」にて取り扱いできることになりました。今回は「ぐい呑限定」で登場です。

備前焼・地底窯への挑戦
世襲とは異なり自作で造った穴窯で備前焼を作陶しています。備前焼は釉薬を使わずに薪(赤松)を使い、1300℃程で数日間焼きあげます。この「焼締(やきしめ)」が中心の焼物は、窯から出すまでどんな出来上がりになるか予測不能で、そんな偶然の重なりから生まれる美しさは、穴窯ならではの醍醐味です。
今回、光彩さんは「今の人がやらない地底窯」で備前焼を作ってみようと思いたち、まずは窯作りから始めました。設計図もないなか、感覚と数学の知識をフル活用し、ショベルカーで地面を深く掘り起こすところからスタートしました。地中に「かまくら」のような天井と壁のベースを作り、何層も泥をかける作業をたった一人で黙々と繰り返し、人ひとりがやっと通れる地底窯を完成させたのです。
なにもかもが初めての試みであり、アドバイスも設計図もありません。この地底窯で本当に焼きあげることができるのか、あるいは窯自体が崩れ落ちて作品がダメになってしまうのではないかと、不安が入り混じります。それでも、狭い窯の中で炎がどう駆け巡るかをイメージしながら、培った経験と作家の勘を頼りに作品を並べていきます。
窯から出るまで状態がわからない焼き物ですが、「成功したらとてもスゴイことだ」と自分に言い聞かせ、不安をかき消します。既製品の窯よりも、自分のオリジナルの窯で焼く備前焼の方が面白いものができるかもしれない。そんな無謀とも思える挑戦の結末を確かめるべく、年明けの1月、窯詰めから窯出しまで密着してきました。

夜、静まり返った闇の中で聞こえるのは、薪が燃える音と、窯の中から燃え上がる炎の音だけが、時間と一緒に静かに流れていきます。この長い時間は、普段感じることのできない作家だけが唯一、体感できる身体と頭の中を分離することのできる「時」なんだと思います。肉体的には、とても疲れているものの、脳は静けさの中に、どっぷりと浸かっているのかもしれません。
今まで、私は器が出来上がってくる工程すら考えもせずに販売に携わってきましたが、作家が、一人で向きあって作り上げる工程を目の当たりにすることができ、同時に神秘的な世界をも体験できたことは、立ち合わせていただいた事に感動と感謝しかありません。

窯に蓋をしてから数日経ち、窯の中の温度も下がりだしたので、「窯出しをする」と一報を受け岡山入り。激しく炎が駆け巡っていた時間から一転。静まり返り、中が全く見えない窯を前に、一刻も早く見たい気持ちを抑えながら、光彩さんは地底窯の中へと入って行きます。
窯の中から、光彩さんの「あ〜壁が崩れている……」という声。窯の外にいる私達は一瞬凍りつきますが、中から手渡される作品を、リレー形式でひとつずつ受け取っていきます。
まだ温もりの残る窯から次々と運び出される様子は、まるで子供が産まれる瞬間のよう。備前特有の「緋襷(ひだすき)」が施された作品は、藁をまとったまま陽光の下へ。その姿は、まるで赤ちゃんの「へその緒」がついているかのようです。
心配した壁の崩落も被害は少なく、何より作品の出来が素晴らしかったことに、光彩さんはもちろん、私達も深く安堵したのは言うまでもありません。
崩れ落ちた壁に、熱でくっついたままのぐい呑がひとつ。必死に壁にしがみついているようなその姿を見た時、私は見たこともない光景に思わず絶叫してしまいました。
まるでぐい呑自身が「この壁から離れたら割れてしまう!剥がさないで!」と訴えているかのよう。完璧な状態で出てきた他の作品よりも、私は「ずっと眺めていられる」と感動し、二度と出会えないこの姿のまま持ち帰りたいと願ったほどです。
良い作品が揃ったこと、そして窯が最後まで持ちこたえてくれたことで、光彩さんの高揚感は最高潮に。もし結果が悪ければ、その後の会話が消え、重苦しい沈黙が続いていたかもしれません。そんな「恐ろしい分かれ道」を乗り越えたあとの打ち上げは、窯出しの興奮冷めやらぬ話で、最高に盛り上がりました。

備前焼の制作と「景色」への思い
焼き上がってきた作品を、ひとつづつチェックします。窯の中では、置いた場所によって、作家の全く思いもよらない色や表情だったり、割れずに残っていた物の中には、もう1回焼いてみるだけの価値があると判断され2度焼き→3度焼きと挑戦します。
又、場所によっては「火が足りなかった」「温度が上がりきらなかった」かと理由を見つけて、もう一度焼いてみよう!1回目と同様、手間ひまは同じでも2回、3回焼くことで、ぐっと良くなる作品に変わると「やって良かった」と納得のいく物を目の前にした時に、2度焼き、3度焼きの意味があったと確信に変わる。手間をかける価値がある事がわかると4度、5度と焼くこともあると言います。そんな作品を見ると、その向こうに、喜んで手にする人の光景が見えること。この思いが、わかってくれる人に是非、見て欲しいと思う。「作家冥利に尽きる」その瞬間の為に作り続けます。
どの作品も、ひとつひとつ思いを込めて形作られ、窯の中に入り、高温の炎の中で、耐え抜いて、姿を変えて生まれてきた過程を思えば、ひとつひとつ付いた※1)「ごま」だったり※2)「石はぜ」だったりと、そこが特別な個性として、備前焼の楽しむポイントになるのです。手に取って、じっくりと備前の世界に没入してください。
用語解説
• ※1)胡麻(ごま)
窯焚き(1200℃〜1300℃)の際に、松の薪の灰が作品に降りかかり、それが溶けて、器の表面でガラス化した、黄色や褐色の斑点模様のこと(ごまをふりかけたよう)。
• ※2)石はぜ
粘土に含まれた小石が、焼成時の収縮差によって、器の表面に割れ目が生じ、飛び出した現象のこと。どれも独特な表情が「景色」の一部として評価されています。

焼きあがった作品の「水漏れ」がないかのチェックに入ります。盃ですから漏れてしまっては、作品として出すことはできません。
お酒が呑めなくても、色や風合いが気に入ったものなら、絵画同様、芸術を身近に感じる楽しみ方もありますね。もちろん、使うことで「表情や景色が変わる」と言います。変化していく姿を見たくて、何回も使い込みます。これも「使ってなんぼ」で大切な事です。
水漏れがなかった商品は、最後に手ざわりやくちざわりの最終チェックに入ります。窯から出たばかりの作品は、物によっては土が鋭く、とがったようになったり、指にひっかかる所があったりと気になる部分が見つかります。特に盃となると、飲みくちには気を使います。糸底(いとぞこ)=底にある輪状になった台のこと、もテーブルを傷つけないようにとヤスリで削ります。
「玄人好みになるとそれすらも削ってほしくない」と思われるかもしれませんが、使っていただく前提で、皆さんの手元にいくわけですから、怪我をしないように、削り過ぎないよう、程よい加減で削り上げ、仕上げとなります。
「土」から火の中をくぐり、ひとつの作品になるまでの、長い時間と工程の思いに馳せ、器を通して感じていただけたら幸いです。お好みの物に出会える楽しみと、今までに出会ったことのない作品に、出会える発見がありますように……。